お葬式の前の儀式について。

先日、私は叔母が亡くなり通夜、お葬式と人生において数度とない行事に参列してきました。
親族ということもあり通夜やお葬式の出席は当然なのですが今回初めて会場にて行われる通夜の前に行われる、お別れの儀式というものも経験しました。
通常、家族の宗派等にもよると思うのですがすぐに通夜を行うのが一般的だと思います。
しかし今回の叔母の葬儀では斎場にて通夜の前にこのような儀式がありました。
どの様な儀式かというと綺麗な儀式専用の部屋があり午前10時頃から始まります。
ご遺体を前に多くの余興が用意されており、「お化粧の儀」であったり「水をかける儀」であったり「綺麗な衣装に着替える儀」であったりと様々なイベントが用意されておりました。
会場も悲しい雰囲気などではなく周りの方もどことなく故人を見送る様な微笑ましい雰囲気に包まれていました。
自分自身このような儀式がお葬式の前にあることなどは到底知りませんでしたから少々戸惑いもありました。
この様な儀式は葬儀場によっても違いはあると思いますが色々なイベントを行う業者が増えてきている一例であり、時代の流れでもあると感じます。
今般、結婚式等でも多種多様な式が行われておりますが今回の葬儀でも同じような事例を経験しここ数年の葬儀業界の変化を感じ取ることができました。

意外に知らない葬儀の常識

葬儀は長い人生において、一度は誰もが経験することです。身内の葬儀だけでなく、友人や知人、ご近所に会社関係など、いろいろなしがらみにより半ば強制的に参加することになります。葬儀とは、積極的に参加したいと思えるような楽しいものではありません。亡くなった人の冥福を祈り最期を見届ける、人にとって最も大切な儀式です。
このような大切な儀式にもかかわらず、葬儀の常識について知らない人が多いのが今の日本社会です。このようになっている原因は、葬儀という死に対してのイメージの悪さが発端です。
誰だって死にたくはありません。いずれ訪れるとわかってはいるものの、なかなか踏ん切りがつかないものなのです。しかし、葬儀に出ると嫌ってほど現実の厳しさを思い知らされます。自分もいずれこうなるんだなと考えると、熱心に葬儀の常識について学ぶ気持ちにはなれないのです。
誰もが葬儀の常識について理解するためには、死のイメージをどうにかしないといけないのかもしれません。死というのは自分の命の終わりを意味します。しかし、本当に終わりなのかどうか確認する術はありません。ひょっとしたらどこかで新たな命として誕生しているのかもしれないのです。このように、死を前向きに考えられるような教えを広めていく必要があるのかもしれません。

葬儀社はどうしよう

お葬式のサービス会社が営業に来ることがあります。
これまで何度も来たことがあるのですが、いつもお断りするようにしていました。
しかし、そろそろお話を聞いてみた方がいいのかなあと思っています。
両親ももう年齢が年齢ですから、いつ突然そうなるかわかりませんからね。
準備しておくことがあるのなら、早めに用意しておいた方がいいのかもしれないからです。
お葬式、葬儀のことなんてわかりませんからね。
やったこともないですし、調べたりしたこともないのですから、わかるわけがありません。
葬儀社にお話を聞くのもいいのでしょうが、まずはインターネットや本などで調べてからの方がいいのかもしれません。
それでも不明なことなどを、葬儀社の営業の人におうかがいするというのがいいかもしれませんね。
そうでなければ、何がわかっていて、何がわかっていないのかさえ、自分では整理ができていないのですから。
このままでは、質問しようにも何を質問していいものか困ってしまいます。
「えーとー」と言ったまま、沈黙してしまいかねません。
お葬式を送る立場になることなんて考えていませんでしたからね。
考えないようにしていたというところもあるような気もしましけどね。

葬儀について

葬儀についてですが、一般的に葬儀は高額な費用が発生しますが現在は葬儀会社の会員になり毎月積み立てていく方法で急な出費を抑えることができる制度があり大変便利です。
葬儀社ですが最近は中学校の職場見学を受け入れている事業所もあり以前よりは葬儀社が身近な存在になっています。
葬儀の種類も多様化してきており生前故人が好きだった音楽を流すものや、珍しいものではカラオケを列席者でおこなうものなどもあります。
葬儀参列のマナーも一般的なものに加え、地方独特のものがあり遠方から参加した場合は分からず列席者の顰蹙をかう場合もあります。
現在高齢化社会が進んでおり、葬儀の件数も増えており今後も市場規模が拡大すると思われがちですが、実際は高齢者の葬儀件数が増えていくと葬儀が簡素化されていくと言われています。
また亡くなったかたは病院から自宅までは専用の車両で移送することになっていますが高額な費用が発生するため夜間の場合普通乗用車で移送をする違反をする方もいらっしゃるそうです。
また葬儀社の中には病院と契約し夜間スタッフを常駐させて亡くなった方の遺族に営業をかける事業所もあり遺族は落ち込んでいる間もなく葬儀の準備を迫られます。

葬儀の種類と費用

葬儀に関しては昔からその費用が不明瞭だと指摘されてきました。しかし、最近では一般的には費用も明瞭になり、かつ全体的に費用も少し安くなっていると言えるでしょう。
一般的な葬儀では、その規模によってはまだまだ費用は掛かりますが、安い祭壇で参列者も親族と近所の親しい人数十人の規模なら葬儀社に支払う費用は100万円以下で、別途導師を勤めて頂くお寺さんへの20~30万円程度のお布施を含めて100万円前後でも葬儀を執り行う事も可能です。
最近では一般の葬儀の他に、家族葬も増えています。家族葬と言っても、家族以外にごく近しい人の参列も可能ですが、葬儀に参列する人数が少なく、式場も少人数を前提にして狭い会場となっています。
こうした家族葬でも、祭壇の種類によって費用の異なる何コースかが標準で用意されており、安いものでは50万円以下で葬儀を行う事が可能です。もちろん、こうした家族葬でもお寺さんに導師を勤めてもらえば、別途お布施は必要です。しかし家族のみで、皆が納得すれば、お寺さんをお願いせずに、読経をCDなどで済ませる事も可能です。
また一般的な葬儀や家族葬と言った葬儀を行わず、焼き場で読経と見送りをするだけの直葬という形態も増えています。これなら、葬儀費用は最も少なくて済みます。
様々な葬儀の中で、費用の点もありますが、どんな葬儀を執り行い故人を見送るかは、遺族の考え方次第です。葬儀は遺族の心を癒し、真心でお送りすると言う意味がある事を忘れずに、こうすれば良かったという思いが残らないようにしたいものです。

葬儀の準備は入念に行う

たいていの場合、葬儀というのは予測がつかないもので、突然執り行う必要に迫られます。そのため、あまり十分な準備ができないまま進んでいくことになることが多いです。しかし、準備不足のまま葬儀を進めていくと、さまざまな場面で失敗しやすくなってしまうため、気をつける必要があります。葬儀を執り行うことが決まってから準備しようとすると、どうしても時間が足りなくなるため、日頃から葬儀について考える機会を設けるようにすることが大切です。

家族で葬儀について話し合いをするようにしていれば、早めに準備を進めることができます。葬儀を執り行うに当たっては、葬儀会社に依頼することが必要ですが、葬儀会社を急に決めるのは難しいことです。葬儀を行うことが決まってから葬儀会社を探すと、信頼して任せることができるかどうかを判断する余裕はなくなってしまいます。多くの家庭では、祖父母などの葬儀を執り行った経験があるため、その時に依頼した業者との信頼関係を築いておくことが大切です。

葬儀会社に一度依頼すると、当分の間はお世話になることになってしまいます。相性の良くない葬儀会社に当たってしまうと、大切な葬儀を嫌な思いを抱えながら行うことになるため、慎重に行動する必要があるのです。

互助会に入ればスムーズ

身内の葬儀の中心的役割の経験としては嫁ぎ先の夫の兄と自分の実家の子供のいない叔父の葬儀がありました。
夫の親が地元の葬儀社の互助会に加入していたようで、なじみがあったのか、うちも10年ほど前に入りました。冠婚葬祭全般に使えるものですが、叔父に子がいなく、親がそのような互助会に入っていなかったので、私の名義を書き換えてそれで葬儀をとりおこないました。
互助会に入っていると、葬儀を依頼するのがとてもスムーズでこちらが楽です。地域にいくつかある葬儀場の中からうちは私たちの家に近いところを選びました。
人が死ぬのは悲しいものですが、葬儀はとても忙しい。することが多いし、考えることも多い。人に聞いた話だと、あまり悲しみを感じる暇がないようにしてあるそうです。その通り、担当のスタッフの方がとても迅速丁寧な人で、滞りなく葬儀をとり行うことができました。
その頃は今のように家族葬というのがあまりなくて、叔父の葬儀は今だと家族葬という手もあったのでしょうが、隣人の方が叔父の勤め先に知らせたらしくて、結局30人くらいは来られたので、ちゃんとしていてよかったのではないかなと思います。
家族葬というのも結局知らなかったからとあとで個人的にお参りに来られたりして、結構大変なのではないかなと考えると普通に葬儀を行うのがいいのかなと考えたり、親ももう80超えだと色々考えてしまいます。

別れはゆっくりとした時間の中で・・・

今まであまり、親族関係の葬儀というもの経験することがありませんでした。
初めて会ったのが十数年か前の義父の葬儀でした。
妻の方は親戚が多かったので初めての義父の葬儀は盛大(?)なものとなりました。団地の集会所を借り、同じ号棟の人達に受付を頼み、「御逮夜」などという事を集会所でしたりしていました。私は、さっぱりなにが何やら分からず、ただただ葬儀社の言うとおりに動いて、たくさんの親戚の人達に葬儀社から聞いたことを報告し、どうしたらいいかを聞いて、また、葬儀社に連絡したり、とにかく人数を数えたりすることで結局、地゛糞が何をしているのかわからぬまま終わってしまいました。
義母と父の葬儀の時は、もう、親類縁者も少なかったので「家族葬」という事にして、本当に身内の者だけで葬儀を行いました。
その時は本当に義父の葬儀と比べると、時間が余りすぎる程あり、ゆっくり思い出話ができたり、何度も棺桶の窓を開けて、顔を見ては様々な話をする事が出来ました。
特に私の父は教育関係で地元では有名になっていた人間なので、もし「家族葬」でなければ、たくさんの人が訪れ、私の知らない人達とも「知ってるふり」をして話をしたり、お世話をしたりして、ゆっくりと別れの時間を持つことができなかったと今でも思っています。
「家族葬にします」と言ってもやはりどうしても焼香したいとやってくる方もいら紗って、対応に困ったこともありました。しかし、やはり肉親の最後は、本当に医書に暮らしてきた人と共に一夜を過ごしたり、静かに思い出話をしたりしていたいものだ、ドタバタと「葬儀の手順」に追われるよりもよほど送る側も、また「送られる側」にとっても幸せなのではないかと実感しました。
寺の会館で死んだ父と一緒に最後の一夜を静かに過ごせたことが、何よりも私にとっては供養になるのではないかと感じました